約1ヶ月前、思い切って一歩踏み出したクラウドファンディングの企画が、あと7日で支援募集期間の終了になります。
私としてはとても勇気を振り絞った行動で、自分が思っていたよりも反響もあり、沢山の応援してくださる方、現在まで21名もの方にご支援頂きました。
本当に有り難く、感謝の念に堪えません。
ですが、それだけのご支援を頂いても現在の達成金額は目標の6%。
期間中も感じてはいましたが、もう無理なのかも知れないなと…
これも自分の力のなさゆえか、最後まで諦めずに頑張りたいとは思っていますが…追加で申請したリターンも未だ反応がなく、サイトの構造やCAMPFIRE運営自体にも不満・不信感を覚えている部分もあります。
人気があるのはいいことですが、案件ひとつひとつに対しておざなり過ぎやしないかなと感じる部分もあります。
(CAMPFIREを使った感想などは、プロジェクト終了後にまた記事を書くつもりですが)
そろそろ、この後のことを考えなければならない時期がきています。
人生が大きく変わるかも知れなかった
プロジェクトの結果如何で、私の人生は大きく変わったかも知れませんでした。
それはそうです、無気力なまま働けない無職のままでいるか、人のためなら動けるという特性を活かしてしょぼい喫茶店みたいなお店・居場所づくりをしていくか。
病院で診断を受け、やっぱりうつ病なのか…と確証を得た今でも、いくら静養が必要と言われても収入を得なければ生きてはいけないのです。
お店を作るのは諦めないけれど…
プロジェクトが成立しなくても、お店を作るという目標は諦めません。
ですが、自分の生活費を稼ぎ、更にそれ以上の余剰が生まれなければ開業資金を貯めていくことすらできません。
月々払わなければいけないものもあります。
病院に掛かったことで、医療費も掛かります。
起業家と希望者のマッチングバーみたいな告知もあって、気にはなるけれど福岡…
福岡までの交通費があれば、生活費の多くを賄えてしまう状態では厳しすぎる。
それに、去年対面でのプレゼンに失敗してトラウマめいたものもあるし、自信が…
…八方塞がりのどん詰まりみたいな感覚。
正直辛いです。
こんな閉塞感を感じて、自分を責めている状態なので、やっぱもうり死んでしまった方が楽なのかな…という状態に追い込まれがちですね。
「なんとかしないと」と思っても、結局どうにもできない。
自分はなんて無力なんだろうと。
期間中、ほぼ毎日のように告知を出して宣伝したり、noteに記事を書いたり、登録しただけで放置していたFacebookを整備してプロジェクトのためのページを作ったり…と色々やってみたものの…
Facebookはさして効果なく、お金を出して宣伝しましょうみたいな通知が来たり、県内在住と書いていてもねずみ講の誘いをしてくるような人と遭遇したり、あまりいいことはなかったです。
地域に根付いたお店・活動になるので近隣の人とつながりが持てたら、こういう活動があると知って貰えたらと思ったのですが…正直やらなきゃよかったなと思いました。
いいこともあった
Facebookは散々でしたが、Twitterではそれまで繋がっていたフォロワーさんたちが応援してくれて、今までは知らない同士だった方々にも、こういう動きがあるよというのを知らせることができたのは嬉しかったし有り難かったですね。
「こういう居場所が欲しいね」なんて言ってくださる方もおられましたし、活動を知ったことで積極的に応援してくださる方も。
本当に、本当に嬉しかったです。
もし私が道半ばで斃れることになっても、生きづらさを抱える人たちの居場所を作るという概念を、少しは広めることができたのかなと思いました。
色んな場所の人たちが知ってくれることで、地方各地にもこういうお店や施設が作られるかも知れない。
そういう希望も、ちょっとだけど抱けました。
零れ落ちてしまった人の社会参加・社会復帰を妨げるもの
世の中では無職(引きこもり)状態の中年男性への偏見というのがあって、本当は一番労働力としても活躍できる層が社会復帰できず、社会全体が機能不全を起こしているのではと感じる部分があります。
やれ人手不足だ、やれ外国人を云々とか言ってますが、それって結局安い賃金で奴隷のようにこき使える労働力が欲しいだけって、大概の人には見え見えじゃないですか。
外国の人も馬鹿じゃないんだから、そんな過酷なところに来ませんよ。
まして日本は世界指折りのモラハラブラック環境ですからね。
(日本と同じやり方をしたユニクロが、海外で従業員に訴えられた話なんかもありますしね…)
本来なら意欲的に働ける人たちを使い潰して、危機的状況を作り出しているの、馬鹿としか思えません。
雇用環境もそうですが、募集に応募して採用に至るまでの流れももう、一新していかないといつまで経っても人手は増えないんじゃないでしょうか。
わざわざ紙の履歴書、無駄にお金の掛かる証明写真を用意させて、採用側が居丈高な面接をする…
それだけで働きたいと思う人の財布を圧迫するし、時間の無駄だし精神的にも負担が掛かります。
人となりは会って話せば分かるんだし、今はネット上にエントリーシートを登録してそれを閲覧すればいい時代ですよ。
後は実際働けるかどうかでしょう。
会ってみてよっぽどおかしな人や危なそうな人でなければ、実際に何かをやらせてみたらいいのに。
今月エデンの新店の店長さんになったしおさんを見ても、そう思うんですよね。
しおさんが30歳くらいでメンタルをやられて退職してから現在に至るまでは、ご本人のnoteを読まれた方が分かり易いです。
しおさんは真面目で細やかなところまで気が回る方(エデン本店でカレーを作られていた時にお会いして思ったこと)なので、多分それゆえに根を詰めすぎて参ってしまったんじゃないかなと思うのです。
(今はエデン神田を開店させていい感じに回しているようですが、まだ昼のお仕事を掛け持ちしている状態だそうなので、ちょっと心配だったりする)
それでも、エデン周辺を知ったことで、履歴書なんかでは測りきれないようなポテンシャルを発揮して今に至っているので、こういう社会復帰のし方がもう少し広がって行ってくれないかなぁと思いました。
考えてみれば昔は履歴書なんかなくて、人の紹介で…とか希望者をとりあえず働かせてみるとか、そういうケースがもっといっぱいあった筈なんですよね。
なのに効率重視というか…段々人間を人間じゃないような扱いにしていって、それが極まったのが今の世の中なのかも知れないと感じていました。
実際エデンやしょぼ喫に行った人が新しい出会いを経て、仕事を得たり結婚したりという話を見聞きしていると今こういう機会ってもっと必要なんじゃないかと思うのです。
だからこう、私もお店みたいなのが持てたら、そういう「復帰したいけどどうやって仕事を探したらいいのか、自分に何ができるのか分からない」みたいな段階の人と、地元の「働き手や仕事を割り振りたいけど普通の募集じゃ全然集まらない…」みたいな人をお店という場所を介して繋げていくようなことも、出来ないかなぁと思った訳で。
勿論、ブラックな環境はアウトですけど。
寛げるような場所だったら、肩肘張って気を張って接する時とは違う面も見えてきますし、仕事とは関係ない話だってできますしね。
IT関係とか、ネットを介した仕事だったら、場所を問わずにできるじゃないかというのも思っていて、地方でやればあんなぎゅう詰めの電車に乗って通勤しなくてもいいんじゃないかって、そういうことも考えたりもするんですよね。
いざ都心で用がある時には、多少移動に時間が掛かるかも知れませんが…
なんとか上手いこと地方の人を元気にしたり、自分の周りだけでも世の中をちょっとでもよくできればと思うのですが…
やっぱり現実は厳しいのかな…
公開中のプロジェクトはこちらになります。
よかったら一度ご覧くださると、嬉しいです。