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アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニートが奮闘したりしなかったりするブログです。

発達障害、支援は自己満足に過ぎないのか-早く安楽死を合法化して欲しい

悲しむ女性

物騒な事件が相次いでいますが、その合間にこんな記事も舞い込んできました。

これは自殺ではない、社会に殺された女性の話です。

www.nishinippon.co.jp

「届かなかった支援」?助ける気なんてなかったくせに。

予約がいっぱいで診て貰えなかったところは仕方がないだろう、でも「20歳になってから来い」と言うところは何様なの?

それまでに苦しんでいる人が死んでしまうとか、考えられなかったの?

このケースの女性はその通り、診断を受けるよりも先に死んでしまった。

殺したのは、たらい回しにした行政とすぐに診てくれなかった病院だ。

 発達障害支援センターでは、診断前に支援は受けられない

私も最近電話したから分かるけれど、発達障害支援センターでは文字通り支援は出来ても発達障害自体の診断や薬を出すなどの行為は出来ない。

医療機関ではないからだ。

そもそも、ここが大問題なのではないのか。

自分や子供が発達障害かも知れないと悩んだ人が相談しても、受け皿になり得ない・機能していないのだ。

始めに出来るのは、近隣の病院を紹介するくらいでしかない。

だったら始めから「発達障害の診断を受けた人を対象にする」と書くべきではないのか?

 

インターネットで調べられる人間であっても、困っていて相談して、でも結局病院を教えられて自分でまたそちらへ問い合わせなければならないのだ。

向こうが繋いだりなどしてくれない。

ただ所在地や連絡先を教えるだけ。

それで、本当に支援だと言えるのだろうか?

繰り返すが、その程度の病院の情報であればネットで簡単に調べられる。

ならば、必要な情報や支援の条件を明記しない行政は、困っている人に時間と電話代を浪費させているだけではないのか。

 

申し訳程度の機関を設置して「私たちはちゃんとやってますよ」という体でいたいのか。

それではただの自己満足だろう。

実際に助けを求めている人すら、助けられないなんて。

この母親は充分に出来る限りのことをしていた

「私はどうすればよかったのか」と零した母親は、可能な限りの手を尽くしていたと思う。

これ以上、彼女に出来ることはなかっただろう。

20歳になったらまた相談に行こうと話していたと言うが、娘さんの心はそこまで持たなかった。

 

一体どれだけ苦しんできたのだろう。

彼女を殺したのは、間違いなくこの社会だ。

明日は我が身

一歩間違えれば、自分もこうなっていたのだろう。

これからだって、こうなる可能性はある。

発達障害やうつ病の疑いがあり、病院への問い合わせをしなければならないという段階で、電話をすること自体にも苦しみを感じています。

慣れない相手に電話をすること自体が苦痛なのに、受診を断られたらどうしよう。

要点を書いておいても、上手く伝えられないかも知れないし、また別の所へたらい回しされてしまうかも知れない。

そういった不安を抱える辛さは、経験した人にしか分からないだろう。

 

記事の中では、犯罪で捕まってから支援に繋がった男性の件も出てきます。

「どうにもならない状況」にならなければ、誰にも知られず、届かないのでしょうか?

それだったらやっぱり、早々に生きることを諦めて死んだ方がいいのかも知れないと、ギリギリのところで気持ちが揺れています。

冷たい、役立たずの社会に人が救える筈がない

世の中を見ていると「なんでこんな人がこの立場にいるんだろう、こんな仕事をしているんだろう」と思うこともままある。

議会の途中で居眠りしている政治家や、仕事をサボってふんぞり返っている政治家。

碌に漢字も読めない編集者だったり、小学生の方がましじゃないのという認識の見解を出す政治学者。

自分がやった方がよっぽどマシなんじゃないと思うような愚図な人たちがゴロゴロいても、自分は認められないから底辺にいるのでしょうね。

 

面接では馬鹿にされたり落とされまくっていたのに、実務を任されて普通にやったらすごいと驚かれた時にも、嬉しいというよりも世の中のどうしようもなさを感じてしまった。

ちゃんと仕事をする人、こなせる人を見極められないというのも、社会が悪い状態になっている一端なのだなと。

(その点、面接やら履歴書やらより前に雑用でもなんでもやらせてみて、見込みがある人を取っているところは上手く回っているように見える)

「死ぬなら他人を巻き込まずに一人で死ね」という言葉が、私を攻撃してくる

無差別殺傷事件やそれに類する事件が起き、必ず「他人を巻き込まず一人で死ね」と言う人が出てきますが、それらは取りも直さず私を攻撃してきます。

何度もそうしたよ!

自分ひとりで死のうとしたけど、失敗したんだよ!

 

そんなことを言っている暇があるのなら、一刻も早く安楽死を合法化して安楽死用の装置を開発してくれよ!

 

という思いと共に、人や社会への憎しみは膨れ上がっていくのです。

もし今、人類が全滅するボタンが目の前にあるなら、私は迷いなく押すでしょう。

そういう破滅的な願望は子供の頃からずっとありますし、それは家庭環境もありますが「どうしようもない社会」を嫌悪感に満ちて見続けた結果でもあります。

 

人を助けたい、自分も生きていきたいという思いと、そうした他者への不信感や憎しみ、絶望の感情は常に隣り合っていて、拮抗しています。

今もクラウドファンディングをやっていて、拡散してくださる人、見てくださる人は増えただろうに実際支援してくれる人は少ない、プロジェクト成功には程遠いという状況に不安を感じる裏側で「それ見たことか」と人をあざ笑うかのように感じている自分もいるのです。

どうせこれが芸能人や有名人の企画だったら、もうとっくに成功ラインなんて超えているんだろうな、とも思ってしまう。

何もしない、興味を持たない、なかったことにする。

そうやって存在を抹消しようとしても、ひとりの生きている人間は消えない。

 

結果、ああやって最悪の形で噴出するんだ。

あれは犯人ひとりの問題ではない、今まで関わってきた人、存在をなかったことにしてきた人たちが溜め込んだ膿が破裂したんだと、感じました。

弱くて死に易い存在が、真っ先に犠牲になるのを見ると伝染病とそう変わらないのだな、とも。

人間が一個の生命体であれば、癌細胞みたいなものか。

そう考えると、何の原因も理由もなくして「そう」はならないでしょう。

 

一度起きてしまえば被害は避けられないああいう事件を未然に防ぐ、減らす方法は、そこまで追い詰められる前に救いを得られる環境なんじゃないでしょうか。

そこを無視し続けて犯人を批難する方が楽ですか?

でも、きっとそれでは今後ますますこういうことは増えていくでしょうね。

私もいずれそうなってしまうのかも知れません。

 

紙一重の精神状態で、ずっと苦しんでいます。