アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニートが奮闘したりしなかったりするブログです。

新元号に被る手話の人という構図に、日本の将来の希望を見たい。

新元号発表に手話の人が被る

本日快晴、地元に着いたら風が強くてまだ寒いなぁと思いましたが、桜もほぼ満開に近くなってああ、4月だなぁ…という感じ。

ホコリと花粉もまだ気になりますが…

花粉症(スギ)の方も、もう少しの辛抱ですね。

 

さて、昨日の元号発表中継、局によっては面白い場面が映し出されてしまったりと話題になることも多かったですね。

私はこの、NHKの手話の人と被ってしまったところが結構お気に入りだったり…

世間ではNHKにバッシング?的なこともあったらしいですが。

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NHKの準備不足?との声もあったようですが(まあ平成の時も小渕さんが同じように出してましたからねぇ)、この手話の方が新元号と被ったのは、これからの社会の在り方を問う何かを暗示しているのかなと、なんとなく思ったりしていました。

 障害のある人も生きていけるのは、我々が人間だから

当然のことではあるのですが、自然界では弱い個体、欠陥のある個体はまず生きていけません。

よしんば何らかの要因で欠陥をカバーできるようなことがあれば、可能性は少ないですが生き残る場合もあります。

しかし、それも容易なことではないでしょう。

 

けれど、ひとたび人間として生まれれば、どんな障害を持っていようとも(表向き一応は)人権というものが保証され、命を落とす危険性も少なくなります。

それは、人が長い歴史の中で社会を作り、規則を作り、助け合って生きていこうと決めてきたからです。

ですが、生きる権利・人としての権利は保証されている筈なのに、依然として障害を持って生まれた方には差別や偏見が付きまとっています。

規則で決められて生活を保障されているというのに、周囲の人から心無い言葉を浴びせられたり、嫌がらせをされたりという話を聞くことも少なくありません。

また、ある一定の仕事をこなす能力があって、制度でも雇用主側に義務付けられていたとしても、なんだかんだ理由を付けて雇って貰えないなんてこともあるようですね。

 

前者も後者も、利己的だなぁ、自分勝手だなぁと思います。

確かに弱者を助けることで、自分たちにも少しずつ負担が掛かっていると考えるのは分かります。

でも、もしいつか自分が同じ立場になったら?

ずっと五体満足で健康でいられるとは限らないのに、自分が『普通』の範疇から外れて保護を受ける立場になった時のことを、何も考えていないのかなと思ってしまいます。

(まあ、こういう人はえてして自分が正しいと思い込んでいるので、弱者側に落ちて苛められでもしたら被害者ぶるだけでしょうが…)

 

でもね、こういう人たちにこそやっぱり考えて欲しいと思うんですよ。

何のために社会福祉という概念があるのかを。

働くことが出来なくなって、やむなく生活保護を受けている人に対しても同じです。

この人たちはどうしてこんなに酷いことを言えるのかなという言葉が、ネット上で飛び交っているのを見掛けたこともありました。

社会的な弱者を虐げるということは、自ら人間であることを捨てているも同然ではないでしょうか?

私自身もいじめをしてしまったのかな?と振り返ることはあって、だからこそ思うこと

以前コンビニでブラックな働き方をさせられていた話も書きましたが 

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 あの頃実は、自分がいじめられるより前に数ヶ月~数年勤めていた人に対して、自分も当たりがきつい態度を取ってしまっていたことがあったんです。

正直なところ、環境が悪すぎて自分の感情を抑えることが出来ない状態になってしまっていたのも理解できるんですが…

とにかくコンビニでは自分も沢山色々な仕事をしなければならないのに、新しく入ってきた人に仕事を教えたりなども丸投げされたりします。

新人さんはよっぽど要領のいい人でもない限り覚えるのも大変だし、なかなか身につかない人もいる訳で。

結果パンクしてしまうのは当たり前なんですが、それでもそういう状態で回していくしかなくて。

一緒に働く側もイライラしてしまったりするのも、仕方ないっちゃ仕方ないんですよね…

そういう部分で焦りや苛立ちを出さずに上手く取り成していける人もいるので、本当にすごいなぁと思います。

私は短気なので、かっとなったらすぐ出てしまうので。

 

後であれはよくなかったなとか、自分が他の人に嫌な思いをさせられた時に「あの人もこういう風に感じたかな」と反省したり、申し訳ない気持ちになったりもしました。

結局冷静に考えられるようになったのは、職を離れてからなのですが…

範囲を社会に広げてみても、こういうケースと同じで根本的な部分が改善できないと、結局同じことが繰り返されてしまうんじゃないだろうかと思うんですよね。

人が人に不寛容なのは、社会の環境自体がよくないからなんだと。

自己責任とか言ってられない

一体誰がこんな社会にしてしまったのか…突き詰めていくと昔のルールやら法やら風潮やらを作り上げてきた人々なんですが、そういう人たちを責めても社会はよくならない。

ただ、環境がよくないのは確実に『自己責任ではない』ですよね。

 

それなのに、弱い者いじめをしてしまう人々。

でもそういう人たちも苦しんでいて、自分より手厚くされている(ように見える)人を見ると「ずるい」と感じてしまう仕組みになってしまっている。

おかしな話ですよね。

悪いのは環境を改善しない偉い人たちなのに、みんな下ばかり見て弱い生き物を踏みつけにしようとしている。

まるで、日本の教育の悪いところが凝縮されているみたいな地獄です。

この国は狭い土地に沢山の人が住んでいるのに、今も限界集落なんだなと思わずにはいられないことがあります。

辛くて苦しくて、それでいて余計なことだけは考える暇があるからそうなっちゃうのかな。

自分が一番の被害者だから、他の優遇されている奴を虐げてもいいだろうって、思ってしまうのかな…

 

でもね、自分より弱い相手を追い詰めても、何も解決しないんだよって。

今の状況を解決する方法は、もっと別のところにあるんだよって、そういう人たちが知ることが出来るようにするのはどうしたらいいんだろうって思うんです。

こうして声を上げてみても、耳に入る人はその分心に余裕がある人だけなんです。

じゃあどうしたら、余裕のない人たちにも聞き入れて貰えるのか、理解して貰えるのか。

本当、頭の痛い問題です。

 

被害者感情ばかりが肥大して他者を傷つけている人たちに、あなたはもう加害者なんだよと骨身に染みて貰わないと、いじめが当たり前の社会はなくならないと思います。

大人がそれじゃ、子供の世界でもいじめをなくそうとか、出来る訳ない。

本当、どうしたらいいやら。

出口のないトンネルをぐるぐる回っているような気分。

ある程度力のある人が一石を投じないと、どうにもならんのかな…