日本のミュージックシーンにはとんと疎いわたくしですが、買い物に行ったりした時だけは流行の曲が流れているのを聴く機会があります。
つい一昨日のこと。
それなりに近いのでそこそこよく利用している業務スーパーに行き、カゴを片手に店内をウロウロしていた時、ある曲が流れてきたのです。
(この日は重いものや沢山のものを買う予定ではなかったので、カートではなく片手装備でした)
名曲との出会いは、いつも予測できない
その曲は、以前もどこかのお店で流れていたのを聞いたことがありました。
韻を踏んだ日本語、しかも少し古い言い回しが取り入れられた歌詞、侘びさびを感じる曲調とメロディ。
どこか、在りし日の椿屋四重奏を思わせる曲だなぁ、と懐かしさを感じながら耳を傾けていたのですが、後で調べようと思って頭に入れておいた筈の歌詞の一部を、その後の色々な煩わしいことに押し流されて失念してしまっていたのです。
その際に調べられていたら、もっと早く誰が歌っている何という曲かというのにも早く辿り着けたのでしょうが…
まあ、ものにはタイミングというものがあります。
その時私が答えを得られなかったのも、何か意味があるのでしょう。
日は過ぎて、件の業務スーパーです。
USENなのか、次々と流れる曲これまた流し聞きしながら買うものを物色していた私の耳に「あ、あの曲だ」と聞き覚えのある印象的なフレーズが入ってきました。
やっぱりちょっと、ちょっと洋楽風にオサレになった椿屋四重奏みたいな曲だなと好感を持ちながら、今度こそは歌詞の一部を忘れまいとする私。
(決して椿屋さんがオサレではないということではなくて、方向性が違うというかこう…そういうニュアンスでお願いします)
米津さんだったんかい
しかし、その日のうちに検索とはいきませんでした。
お会計を済ませて帰っていたら忘れていた…
で、やっと昨日ふと思い出してGoogle先生に聞いてみたところ、やっぱり先生は優秀で一発で探し物の答えを見つけてくれました。
米津玄師「Flamingo」と。
ちょっとびっくりでした。
米津さんの曲はいくつか聴いたことはありましたが、この曲も彼の曲だったとは…
しかもリリースは2018年10月…もう出てから4ヶ月近く経ってる。
いくら流行歌に興味ないと言っても、タイムラグひどすぎじゃないの自分。と思いました。
うん、でも引きこもりだから世の流れとズレが生じていても仕方ないかな。
普段聴く音楽って、世間的にはメジャーな感じじゃないし。
最近は特に、Youtubeでヒーリング系の曲を聴いてあ~癒される~みたいな状態になったりもしてますしね。
めちゃくちゃいい曲だと思うんですよ
私がこの曲をお店で聞いた時米津さんの歌だと気付かなかったのは、どうやら知っている他の曲とは印象が違ったのもあるみたいですが、ネット上での感想を聞くとなんか納得いかないな~と思うものもちらほら。
地味とか最初は微妙だと思ったとか…
ええっ!?めちゃくちゃいい曲じゃん?
どれくらいいい曲かというと、私が一回ちょろっと聴いただけで「この曲気になる」ってなったくらいだから、相当なモンよ?(個人の感想です)
歌詞が分かりにくい・難しいというのも聞いたけど、逆に歌詞の全てを正確に理解している歌がいくつあるのだろうと聞きたい。
まあ、日本語ほど曖昧で様々なニュアンスを同時に含んだ言葉ってあんまりないらしくて、どう解釈していいのか分からないって部分もあるのでしょうけど。
それこそ考えるんじゃない、感じるんだの世界です。
日本人って昔から識字率が高くて云々…って言いますけど、読み取る力はまた別なんだなってよく思います。
特にツイッターとかSNSを見てるとね、やっぱりね…
3行どころか3文字くらいしか読んでないのかなって人が、全く見当違いな怒りを浴びせ掛けている滑稽な場面を何度見たことか。
言葉の端々を見ただけででカッとなっちゃう(それも分からなくはないのですが)んでしょうけど、もうちょっと落ち着いて何が書いてあるか読んでいれば、そんな恥を晒すこともないだろうにな…と思うこともままあるのです。
あと、決まりやルールをちゃんと読んでいなくて(一応目を通しはしたけど、理解していないパターンも多し)ペナルティを食らって文句を言ったりね。
なんなんだろうなぁ、お互い言葉は理解している筈なのに、通じてない感があるんですよね。
私も特段コミュニケーションが上手い訳でもないから、上手く伝えられないってのもあるのかなとは思いますが。
そういう、読み取る力がどうこうとか語彙力とかは横に置いといてね、やっぱり日本語の美しさというのをもうちょっと、当の日本人にも感じて欲しいと思います。
なので、米津さんのように今沢山の人に支持されている歌の世界にいる人が、こういった風合いの曲を作ってくださったのは本当に感謝の想いが尽きません。
どうやら「Flamingo」は自由に作らせて貰えた歌らしく、いかにメジャーなミュージシャンが窮屈な思いをして曲を作っているのかを感じてしまう部分もあるのですが…
願わくば、またこういう曲を出してくれたらなぁ、と思います。
「Flamingo」歌詞の解釈・自分なり
「Flamingo」の歌詞は、ストレートに単純な読み取り方をすれば
飲み屋のお姉ちゃん(ナンバーワンホステスとかそういう感じ)に袖にされ、冷たい雨の降るうらぶれた路地で途方に暮れたり、相手にして貰えて舞い上がり、上手いことは成せずに終わったりと翻弄されている冴えない男性の歌のように受け取れます。
ですが、MVの米津さんご本人の様子やこの曲に対しての発言を見るに、このフラミンゴとは米津さんご本人のことを指しているのでしょう。
『普通』の世間から爪弾きにされ、孤独だった頃のこと。
米津玄師として一躍脚光を浴び、富や名声のお零れに預かろうと、或いは掠め盗ろうと寄ってくる者たち。
そうして掌を返すような反応を見せてくる世間に、自分でも自由にならない流れに恐ろしさすら感じているのかも知れません。
華やかで優美な姿で水辺に寛ぐフラミンゴも、その陰で生きることの苦しみを味わっているのかも知れない。
単に「生きる」というだけなら保証されている部分が多い人間ですら、生き辛さや苦しみを抱えているのですから、厳しい自然環境で生きている生物たちはもっと大変でしょうね。
米津さんはある意味、引きこもりの星みたいな方ですから、思い悩む人の琴線に触れるような歌が作れるのかも知れない。
余計なものに縛られることなく、のびのびと曲作りできる状況であって欲しいなと思います。