アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニートが奮闘したりしなかったりするブログです。

同じ人間として見て欲しい・あるいは人をコンテンツとして見る邪悪について

女性という便利な生き物

私もひとりの人間だから

 

 

 

 ツイッターでこんな呟きを見掛けた。

そのお陰で「ああ、今まで男性からこう見られていたからああいう扱いだったのか…」と腑に落ちた。

 

このツイートをされた方は、パートナーやお子さんと暮らすうちに自発的に目を覚ますことが出来た稀有な人なのだろうなと思う。

中にはずっと気付かずに「嫁さん」に家事も身の回りの事も全てやらせて自分の母親の代わりを押し付けたまま、働いているだけの赤ちゃんみたいなまま最期を迎える男性も、まだまだ沢山いるのだろうと思う。

どこかのスラングで「タオパンパ(お風呂に入る時、タオルもパンツもパジャマも自分で用意できず、妻に用意させる夫という意味)」と呼ばれていた種族の男性だ。

これは、パートナーが専業主婦でも共働きでもあまり変わらないらしい。

外での労働は折半しても、家事は労働に入らないと思い込んでいる模様。

どうしてそんな風に思い込んでしまった人が多いのだろうか。

うちの祖父もそうだったな

祖父もこの傾向が強く、流石に私が知っている限りでは服くらいは自分で用意していたけれど、それ以外のことは祖母に頼りきりだった。

祖母が認知症と診断された後も自分でやるということも出来ず、無理に祖母にやらせて出来ないでいるのを毎日怒鳴っていた。

私が諫めても叱っても理解せず、祖母への強要もやめず地獄だった。

 

私だって面倒を見ているとはいえ、身の回りの全てのことをしてやることも出来ないし、その為にフルタイムではなかったけれど仕事に行って家にいない時間もあった。

そうしないと私が生活出来なかったから仕方ないのだが…

自分で動けるし、必要以上の事は私が介入するのも嫌がる癖に、祖母がもう自分の身の回りの世話ができないということも聞き入れない。

祖父から見れば、祖母はどんな状態になっても召使いだったのだろう。

「それをするのが当たり前の生き物」だったのだろう。

 

祖母が亡くなり、祖父とも離れて暮らす今、もうあの怒鳴り声を聞くこともないけれど、今も時々怒鳴り声が響いているような気がする。

いつになったらこの幻聴のようなものがなくなるのか…

 

生育と教育の呪縛

生まれてから一番に接する母親というのは、大概なんでも出来て、家の事自分(子供)の身の回りの事をなんでもしてくれる。

その万能感と、それが当たり前の環境の中で育って、別の視点から母という人間を見ることなく大人になってしまうと、やはり「そういう生き物」だと思い込むようになってしまうのだろうか。

しかし、女性は比較的そういった思い込みをしたままでいる傾向は少ないように感じる。

育っていくうちに家事の手伝いや、母親という存在の側面を見る機会、自分自身の身体的な変化や周囲から押し付けられるレッテルなどで、母は万能な生き物であるという幻想が壊れるのが早いからなのかも知れない。

あと、女性は勘が鋭いとか、感性で察するものがあるのだろうと思う。

そこを見ると男性はそういう細やかなところに疎いまま、内面的に成長せずに大人になってしまう人が多いのだろうか。

 

周囲の環境もあるのだろう。

女子への差別は同時に、男子への差別や不利益にもなり得る。

男はどうたら、女はどうたらと古臭く偏向的な役割を押しつけて、それが当然と時代遅れの大人たちに色濃い洗脳を受けてしまうのか。

日本の教育、兎角情操やら道徳のような部分は本当に遅れていると思う。

そんな思いに行き当たる度にどうにか出来ないのかと思うものの、私は無力だ。

 

未婚率や少子化への関係

一定以下の世代の未婚率が高くなってしまった背景は、何も低収入だけではないのだと感じている。

様々な情報を目にする事が容易くなった現在では、結婚した後の女性がどんな扱いを受けるかも筒抜けなのだ。

もし収入源兼召使い兼子供を産む装置のような扱いが待っていると知ってしまったら、わざわざそんな地獄に飛び込んだりはしないだろう。

時にそこには、サンドバッグという役割も加わる可能性もある。

女性の人としての権利はどこにあるのだろう?

独り立ちできる女性にとっては、結婚はデメリットが多かったり、リスクが高いものになってしまっていると思う。

私もいくら困窮していたとしても、結婚は絶対にしたくないものだった。

親の親の代から地獄を見せられてきたら、そう思うのも仕方ないだろう。

 

本来なら、男女ともに支え合うような社会が形成できたら理想的なのだろうと思う。

男だけでも女だけでも、人間の世界は成り立たないのだから。

でも、それを深い断絶が阻んでいる。

その上、まるで両者を対立させようと煽っているかのような影もある。

本当の敵は何なのか、誰なのかを見極めて、曇った目を覚ましていい社会を作っていけたらいいのに。

 

人をコンテンツとして見る邪悪

shiba710.hateblo.jp

 はてなブログのトップページでこのエントリーを見て、特にその後半に感銘を受けた。

星野源さんたちが直面していた問題、どこまでも監視者のように追い掛けてくるハイエナのような仕事をしている人だって、人間の筈なのにね。

それをやられる側の人の心を壊すような事をして、まともな職業と言えるのだろうか?

 作品から引用された部分などが、あまりにも悲痛だった。

 

マスコミとかではないが、私も最近自分をある分類のコンテンツのように思われていたのだと知って憤慨した記憶があったのもある。

私はただの娯楽でも消費物でもなく、ひとりの人間なのに。

そういった、人を人間扱いしない人たちの事を邪悪だとすっぱり言ってくれて、随分救われた思いでいます。

 

同時に、古い観念上でこびり付いたジェンダー差別は、ある意味男女をコンテンツとしてしか扱っていないのではないかと、あの辺りにも当てはまるように感じた。

男は働いて稼いでいるだけでいいというコンテンツ、女は家庭に入って云々というコンテンツ。

それは本当に、当事者たちを人間として扱っているのか。

鋳型に嵌めて同じようなモノばかりを作り出そうというなら、それはもう人間の扱いではないと思う。

男らしさだとか女らしさだとか、時代にそぐわないものを子供たちに押し付け続ける呪いのようなものは、早々に断ち切らなきゃいけないと思う。

 

それを実際にどうやったらいいのかなんて分からない。

私はいい年して失業中の人間で、何の力もない存在だ。

けれどこの思いだけは、こうして書き残しておく。

いつか少しでも、どこかの誰かに伝わるように。