アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニートが奮闘したりしなかったりするブログです。

思えば子供の頃から抑うつだった気がする

私が見る夢はいつも色褪せている。

モノクロやグレーとかではなくて、色味が付いているんだけど薄暗いというか、彩度が低いというか。

眠っている時はそれが普通なんだけど、起きてから思い返すともっと色鮮やかな夢だったらいいのになと思うことはよくありました。

 

夢の内容は多種多様で、よく覚えているのは小さい頃通っていた保育園の庭で、何故か夜に遊具で遊んでいる夢(なんかお化けみたいなのが一緒に遊んでいたような気がする)とか、見覚えのない学校に通って知らないクラスメイトと授業を受けたりとかしている夢とか。

 

後は空を飛ぶ夢なんだけど、上手く飛べなくてふらふら着地しちゃったり(それを繰り返すとか)見覚えのあるようなないような道を自分の足や自転車、バスや誰かの運転している車で移動していく旅行っぽい?夢とかがよく見るパターンだったなと思います。

 

最近見た夢で印象が濃かったのは、会社の上司たちに責められている夢です。

個室に詰められて退職を迫られたのがよっぽど辛かったんでしょうね。

元々無責任で頼りにならないところが心底嫌になっていたんですが、夢にまで出てくるなんて…早く忘れたいです。

 

 

そんな褪せた色の夢ばっかりなせいか、子供の頃の楽しい事ってあまり思い出せないんですよね。

全然楽しくなかったという訳じゃないし、笑ったり面白いと思った事もあった筈なのに。

思えばずっと、我慢ばかりしていた気がします。

母が再婚した後長女という立場になって、弟や妹ともそれなりに仲良くやってきたと思うけど、いつも私はこの家の一員ではないんだという思いがありました。

 

義父は母と結婚する時、母と私を幸せにすると祖父に頭を下げたのに、その割にあまりいい父親ではなかった。

最近ツイッターで風呂上がりの小さい娘の胸をつついて妻子に逃げられた男性のツイートが話題になっていましたが、それよりも悪い、今だったら虐待と騒がれるような事を妹にしているのを日常的に見て嫌悪しながら暮らしていました。

母は一応注意はするのですが、なんとしてでもやめさせようとするような感じではなく最後には呆れて何も言わなくなっていたし、私も寝ている時に胸を触られた事がありました。

父親として尊敬も何も出来ない人だったし、自分を棚に上げて子供を叱っても、あんたには言われたくないよってなってしまうのはもう仕方ないですね…

 

それに何より嫌だったのは、家族で外食に行く時「○○ちゃんも行くの?」とわざわざ聞く事でした。

義父からしたら何気ない一言だったのかも知れません。

でも、他の兄弟は当たり前に連れていくのに、どうして私だけそう言われなければならないのか、この人と血の繋がりがないからやっぱり私は家族の一員として認められていないんだなと毎度傷付き、それを言われた時は一人で家に残りました。

その癖私が口を利かなくなると盛大に落ち込むので訳が分からないし、そうなると間を取り持とうとする母の神経も分からなかった。

 

家庭がおかしかったからか、一見まともに育っていたらしい私の中身もどんどんおかしくなっていったのでしょう。

小学校高学年くらいになるともう未来を思い描くことも出来ず、「15歳になったら死のう」と思うようになりました。

勉強は別に頑張らなくても出来るし、テストの点もいい。

運動は昔は得意だったけれど、年を追うごとに段々動くことが億劫になって、そのせいか肥満になっていき、余計に不得手になるという悪循環。

宿題もやる気が出なくてあまり手を付けないけど、その辺はおおらかな学校だったのかなんとかなってしまっていました。

学校に行くのも苦痛になって、不登校になる日も結構多かった。

 

今考えると本当に何か発達障害か病気だったんだと思うんですが、20~30年前くらいは世間もそういう見識がなく、母からも怠けているように扱われて辛かったです。

休まなければならない程具合が悪い日は、本当に身体が辛かったのに…

 

結局私は中学生の頃、何度か自殺を試みて失敗しました。

あの頃の自分が出来る方法がなさすぎて、軽く傷が残る程度の実行しか出来なかった。

自分の周囲の人たちでそれを知っていたのは、今はもう亡くなっている祖母だけです。

母親は何も知りませんし、今更言う必要もないかなと思っています。

 

15歳で死ねなかった私は、惰性で高校受験をして志望校に受かり、祖父母の家から通うことになりました。

明るい新生活みたいな感覚はなく、ただこうなったからそうなったみたいな進学でした。

ただ、両親から離れて暮らせたのは少しだけ精神によく作用したようです。

それも春休みと入学当初の、ほんのしばらくの間でしたが…

 

特になんの夢も目標もなく進学した私の気力はすぐに尽きてしまい、学校に通う事も出来なくなってしまいました。

当時の先生や級友には迷惑を掛けてしまったと思いながらも、この段になってやっと私をカウンセリングやらに連れて行こうとした母の行動は許せませんでした。

私がずっと、あんなに苦しんでいたのに何を今更と。

もう、全てが手遅れでした。

その時は自分に与えられた部屋に閉じこもって扉が開かないようにして、母とは会わなかったしカウンセリングにも行きませんでした。

どうやって死ねばいいのか、前にやった方法はダメだったし…と死ぬことや消えてなくなりたいという気持ちでいっぱいでした。

 

 

今振り返っても、あの頃死んでいればどうだったかなと思う事はよくあります。

少なくともその後することになった苦労や辛い思いなどは、しなくて済んだでしょうし。

いい事や楽しい事がなかった訳ではないんです。

ですが、嫌な事に対してそれらを覆す程のプラスがあったかというと…正直、頷くことは出来ない。

首を傾げるくらいが関の山です。

なんというか、自分が見る夢と同じで色褪せていて、明るい部分が見えない感じ。

 

 

今現在だって、どうにもならなくなったら死のうと思っている部分は拭えないし、確実な方法も探してしまう。

でもなかなかないんですよね。

人間って死ぬ時にはあっさり死んでしまう場合もあるのに、そうでない時は結構しぶとい。

苦しまずに、他人に迷惑を掛けずにサクッと死ねる方法って難しい。

 

日本にも安楽死が導入されて、何かを引き換え(臓器とか)にして費用面でもクリア出来るようになったらいいだろうな。

でも、利用したい人が殺到するかも知れない…

それはそれで困るなぁ。

待ち時間が長くなるのも、抽選で何名だけ死ねますとかになったりするのも。

死にたい気分って波があるから、「今ここですぐに死にたい!」って時に死ねないとその後すごくダウナーになっちゃうし。

 

本当、なんで生きてるんだろうね。

生きる時間に比例して色々な事柄を知る度に、なんで人間って存在してるのか、何の為に生きてるんだろうって思ってしまう。

この年になってもどう生きたらいいか分からない。

霞でも食べて、ふわーって生きてられたらいいのになぁって思う。

 

自分の母親は巷で聞く毒親からするとそんなに強烈にすごい訳じゃなかったし、壮絶な体験談みたいなの聞くとたいしたことないんだろうなぁって思う。

子供時代の環境が嫌で、勉強したり遠くに行けるようにして早く独り立ち出来るように行動した人たちの話もいろいろと見たけど、どうして私にはそれが出来なかったのかなぁ。

そういう風に生きられたら、独りでももっと強く生きられたんだろうと思う。

でも私には気力がなかった。

壊滅的に無気力だったんだろうな。

なんでそうなったのかは分からないけど、世の中のことを知る毎に失望していったのは覚えている。

こんな世界じゃ、どこに行っても希望はないんだって。

 

争ったり競ったりするのもあまり好きじゃないし、嫌な人に嫌な気持ちを抱えながら働きたくなんかないし。

余計な人と関わらずに快適に働ける場所があれば、本当にそれに越したことないのになぁ。

度を越した無理をさせられるようになる前は、前の職場がそんな感じですごく働き易かったし短期的には前向きに働いていられたのに。

入ってしばらくはい職場だと思っていても、環境が悪化する場合もあるって知ってしまうと怖いなぁ。

 

 区切られた時間の中で黙々と、無理のない量の仕事が出来る場所がまった見付かればいいんだけど…